ザ・コミックス@セブ

元お笑い芸人(ザ・コミックス)リーダーのセブ島リロアン、旅の宿チロリン宿と波際食堂の独り言。

1月2日(土)恥ずかしながら帰って参りました

本日も明けましておめでとうございます

大晦日から元旦を迎えたと思ったら

早くも令和3年1月2日・あと1時間で

令和3年1月3日になる、月日が経つのは

早いもの・・ぼ~っとしてる間に

3日間が過ぎ去っていく・・ぼ~っと

してる場合じゃない、だけど大晦日は

忙しかったライジン主催の格闘技祭典

キックやらMMAやら人気ユーチューバー

にいたるまで多種多様なパフオーマンス

あり、真剣勝負あり、涙・笑いに包まれ

大盛り上がりで大成功だったと言える

ちなみにNHK紅白歌合戦やバラエティー

番組は、さほど興味が無くなり・・・

見る気にはならない、それとNHKに

支払いしてない・・それ以前に

わだすの部屋にはテレビがなかったっけ

テレビなし生活、かれこれ10年に

そんなわけで今時の青ケツ歌手や

青ケツ俳優・青ケツタレントを全く知らない

テレビがあった時代でも日本の番組は

ほぼ見なかったので女優タレントお笑い

等々30年間ほど空白期間、なぜか

戦後フイリピン・ルバング島で

ジャングル生活してた小野田少尉を

思い出す・・わだすの生活は

コンクリートジャングルだったけれど

リスクや危険地帯と言う点では

似たようなものかも知れなかった

ルバング島では野生の生きものと共存

マニラネオン街でも野生の女と共存

生活環境は相通じるものがあるだろう

いや・・マニラの方が危険地帯か・・

幾度と無く痛い目にあった経験がある

ルバング島にはネオン街がなかったので

男だけでの生活はさぞ味気ない

気がする、どんな生活だったのかは

知る由もないが、戦後29年間もの長い間

頭の中が戦争状態であったとすれば

小野田さん・・よほど頭に叩きこまれて

いたのだろう大日本帝国軍人精神を・・

それにしても異常ともいえる戦争の産物

30数名ほどの現地フイリピン人が

その間被害にあい亡くなってるそうだ

戦後に起きた事件なのでフイリピン

国内法律で裁かれなければならない

出来事だったけれど、マルコス政権の温情で

無罪放免となり日本政府もお見舞金として

当時3億円を支払ったと言われている

多分・被害者家族へ渡ったのはわずかだと

思う、フイリピン政府だもの(当たり前)

この丁度1年前には同じく日本兵だった

横井庄一さんが戦後28年目にグアム島で

地元の猟師に発見され残留日本兵として

一躍・時の人となり昭和47年57歳で

日本に帰還””恥ずかしながら帰って参りました””

と衝撃的な発言はその年の流行語となり

あれから49年の歳月が流れた・・・

その頃は明治は遠くなりにけりと明治を

懐かしんだものだけど・・今では

昭和が遠くなりにけり、そんな時代に・・

あと100年も経てば令和が遠い昔と

言われる時代になるのだろう・・そのとき

わだすは、果たして幾つになんて考えなくても

100足せばいいだけの話、これぐらいの

算数ならわだすにとっては朝飯前・・・

175歳・・来月2月に76だから176歳

そのとき素直に令和が遠い昔になったと

言えるかどうか・・多少の不安はある

そのときまでには完全に前立腺肥大と

脊柱管狭窄症・腸閉塞を完治させようと思う

いででででで~~~~腰の野郎~~~

次回生まれ変わったときに名前は決めた

姓は腰の名は野郎・・””腰野野郎””と・・

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