2月9日(火)津軽弁よとこしえに・・・
夕べ寝しなに明日天気にな~~れ
つぶやきながらベッドに入った
なるようにしかならない自然界
そんなふうに期待もせず眠り薬代わりに
いつも枕元においてある本を5~6ページ
めくってるうち睡魔に襲われ無の世界
意識が消える瞬間を見極めようと
時々思うのだが、その試みが
成功したことはない・・境目のない
遠近両用メガネみたいにハッキリせず
その昔・未だ東北高速道路がなかった頃
時々ドサ周りで東京から福島、仙台などへ
オンボロ車に乗り旅したことも幾たびか・・
国道4号線をひた走り誰が言ったか
知らないけれど草加~越谷~千住の先よ~
わけのわからぬ事をつぶやきながら
春日部・杉戸・宇都宮・那須高原を
抜けて行くのだが、度々思うことがあった
当時は一応標準語が足立区北千住辺りまで
東京の外れ埼玉県との境目になる竹ノ塚
近辺まで行くと埼玉弁の匂いも出てきて
微妙なフィーリングになってくる・・
若い子はそうでもなかったが、地元の
爺ちゃん~婆ちゃんになるとダ埼玉~~
なんて揶揄されてた時代もろになまりが
目だっていた・・草加あたりから始まり
春日部~杉戸~幸手界隈は立派な埼玉弁
そこから栃木県に入ると輪をかけて
なまりが激しくなり東北6県と言われる
入り口の福島県からズゥズゥ弁で有名な
いわゆる東北弁地域になっていく・・
福島県・宮城県・ぐらいまでは、未だ
なんとか理解可能な地域だが・・・
岩手、山形、秋田、青森は完全なる
ズゥズゥ弁・・部落によってなまりの
色あいは違ってくるけれど山間に
なればなるほど強烈ななまり・・
現在はテレビSNSなどの発達で
昔ながらの土着なまりがあまり聞けなく
なったので少々淋しさを感じるわだす
特に青森県津軽地方独特の津軽弁は
同じ東北の福島県人・宮城県人が
聞いても理解不能なほど凄いズゥズゥ弁
一昔前の鹿児島弁と津軽弁は難解な
日本語の中でも、最も難しい言語かも
知れない・・同じ日本人を惑わす
津軽弁と鹿児島弁・・地方の方言は
個人的には心温まり大好きな言語
今後何億年経とうとも失って欲しくない
わだすを6歳まで優しく育ててくれた
婆ちゃんは津軽地方に程近い
十和田湖があるど田舎出身・・
ほぼ津軽弁に近い言葉で喋っていた
5~6歳の頃は何不便なく通じ合って
いたけど、今ではほとんどわからず
ひとつだけ頭にこびりついてる言葉がある
一人ではできず必ず婆ちゃんに声かけて
連れてってもらう時、””ばんばたっちー””
と叫ぶとすぐに婆ちゃんは連れてってくれた
さて・・それはどこでしょう~~~
小さな家の裏手にある便所だった・・
終ると古びた新聞紙をくしゃくしゃと
もみ~青ケツを拭いてくれた優しいばっぱ
書いてるうちに思い出した婆ちゃんの事を
ばっぱと呼んでいた・・今でも意味は
わからないけど””ばんばたっちー””
う○こしたいとき呼ぶのだから
う○こしたいと言う意味なのだろう
取り留めのない話になってきたが
言いたかったことは、宇都宮・福島
などを通るとき・・どの部落から
東北弁に変わるのかが・・眠りに落ちる
時と同じようにはっきりしない
幾度か確かめたことはある・・
急に変わるわけではなく徐々に徐々に
変わっていくのは感じた、だけど境目が
ハッキリしない・・そんなバカなことを
考えた在りし日の””こっつあがなし””
この言葉はガキの頃よく言われた霊山村の
方言でろくでなしとでも言ったらいいのだろう
その””こっつあがなしヤロー””・・・
雨が止んだ後の上空を警戒しながら
木曜日以来の恋人ダナオへ行って来た
嬉しいエクササイズ、珍しく今日は
2組のプレーヤーがいたけれど
最後の17番ホールと18番ホール
わだすのプレー進行には関係なく
毎度の貸切状態・・今日のプレーは
打ち直しは禁じて一球一球真剣にプレー
ボールロストは一球もなし・・
ひとつのボールで9ホールス終了は
上出来・・9ホールスで11オーバー
47点、コースコンディションの悪い中
76歳になる爺さんとしてはまずまず
それより元気に歩けることが・・
なによりの喜びありがとうごぜえました。
いつものダナオ・・ゴルフ街道通り道
一体なにができるんだろう・・不可思議な建物
頑張れ~~~老いも若きもガキッチョも
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