ザ・コミックス@セブ

元お笑い芸人(ザ・コミックス)リーダーのセブ島リロアン、旅の宿チロリン宿と波際食堂の独り言。

9月20日(月)賢人の暇つぶしは偉大かも・・

リロアンの上空はこんな具合です・・

いつ雨が落ちてきても不思議じゃない

 

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できることなら落ちてこないで~~~

夜中の雨は涼しくて心地良い・・

深夜12時ごろから朝の6時頃まで

それも大雨じゃなく優しくシトシト

降ってくれる雨は子守唄みたいに感じて

気持ちよく眠れる変なおじさん・・・

別に変ではなく世間一般の人々も同じだと思う

今日からは自分のことを爺とか爺さんとか

云うのはやめておじさんと呼ぶことにしたい

一昔前なら76歳立派なおじいちゃんだが

この頃では人生100年時代と言われている

まして我が人生500年だと信じてる

わだすにとって76歳はまだ十代にすぎない

10年一昔などと云う言いぐさも死語になった

2~30年が一昔といってもいいように思う

わだすにとって2~30年前であっても

普通に2~3年前にしか感じない・・・

青ッ鼻垂らし寝ションベン垂れてた頃でも

つい昨日のような出来事に感じる

時間なんて決まりきった一定のものじゃない

アインシュタインが発見した法則のように

時や場所・環境・条件・距離によって

時間はいかようにも変わりうる、事実

子供の時の時間はやけに長かったし・・

60歳過ぎてからの時間がやけに速過ぎる

69歳になったとき・シックスナインか~~

嫌らしい歳になったもんだ・・なんて

云ってたのがつい昨日のことのように思うが

現実は76歳信じらんな~~~~~~い!

時間と言うものはこのようにいい加減なもの

そう思うと生きとし生けるものに時間などない

時間は人間が生活を便利にするために仮に

つくりだされたものである・・・

我々の身体を構成している分子や原子は

絶えず分解され捨てられ・・また新しいものが

入ってきて置き換えられている、1年もすれば

あらかた置き換えられて我々は別人になっているが

人は過去の記憶がその人の存在そのものを

定義しているといえる・・・また・・

睡眠時に記憶の取捨選択が行われ物理的に

脳内の老廃物を水で洗うかのように除去している

果たして同じ人間といえるだろうか・・

どこが別人の境界線か本人の証明と言うものは

かなりあやふやなものであることは確か

脳にある記憶が本人だと判断するから本人

ハードが入れ替わってもソフトが依然残って

いれば本人と言うこともいえるが・・・

これもまたいい加減であやふやである・・

そのうちクローン人間なんて代物が現れれば

ますますややこしくなるこの地球上・・・

つまり我々は細胞分裂の限界を迎えた時

物質である肉体(ハード)の寿命とともに

記憶(ソフト)も消えて終了するが・・

それ以前にも死に変わり生き変わりしていて

真の我と言うものは実にあやふやなものであり

人は本来無我であるという説はあたらずとも

遠かりきかもしれない・・生きているときは

死んではいない・・死んだときは死んだという

自覚もなく、本人は死を証明できないし

死んだという記憶もないので死は存在しない

死と云う事もまたあやふやなことである。

今夜も立川談志の言葉で終わりにしますか・・

””人生は単なる暇つぶしである””

賢人の暇つぶしは偉大なできごとでもあるのだろう

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