021年12月1日(水)江戸の遊郭は凄~い!
いよいよセブも12月・師走に入り
人々は忙しそうに駈けずり回り・・・
時には冷たい木枯らしも吹きぬける季節に
なるわけもなく・・連日熱い太陽の
光にさらされ、わだすの白いもち肌が
悶え苦しむ南国の気候・・長年の南国生活で
真っ白だったもち肌も近頃は黒ずんだ
さめ肌状態のようになり逞しくもあり
寂しくもある・・ゴルフ好きのため
数十年もの間、太陽の熱射や紫外線など
気にもせず直火のなかを駈けずり回っていた
そのご褒美と云っていいのか知らねども
白いもち肌は黒ずみさめ肌に紫外線も
過度に浴びすぎ・・つぶらな瞳には翼状片なる
変態障害物に犯され、両目を手術する
羽目にもなり現在は紫外線に充分気をつけ
完全防備体制でゴルフを楽しんでいる・・
時すでに遅しの感は否めないが、行動するのに
遅すぎると言うことはなく、しないよりは
した方が断然良いに決まっている・・
人は行動することに意味が有りその意味は
生きてる証でありそれ以上でもそれ以下でもない
人間の頭脳に与えられた理性などは
行動と言う本能の前には色あせてしまう
たとえば我が行動のひとつセックスの最中に
理性が湧き出たら行動はストップせざるを
得ない・・人権問題・男女平等・人種差別
地球温暖化問題が頭をかすめたら、とても
じゃないが子作りに熱中できない・・・
子作りは理性ではなく本能の部類だ
理性など重要視しないフイリピン一般庶民
日本とは真逆のきれいな三角形になっていて
年よりは少なく子ども若年層が圧倒的だ・・
子どもが10人いてそれぞれ一人一人が
全部男が違うというツワモノ女も存在する
逞しい国フイリピン共和国・・野良猫みたいと
批判するのは勝手だけれど女性の逞しさを
感じずにはいられない、それに戸籍制度が
ないことも開放的になれるのだろう・・・
故に私生児などの差別用語も生れない
良いか悪いかは別にしてこの国に今のところ
人口減少問題は無縁の国だと言えるだろう
ところで昨日の続き””遊郭””とは政府公認の
性風俗(遊女)を扱う場所、江戸時代に
徳川幕府が設置した浅草は<吉原遊郭>が
日本全国で1番大きく有名で敷地面積は
2万坪を超え””遊女””も数千人いたというから
わだすも1度は行って体感したいと思ったものだ
大小様々な遊郭は全国津々浦々に点在し
宿場町など人が集まるところには
遊郭が存在していたと言うから男にとっては
羨ましいかぎりの楽園だったかも知れない
遊郭の主は遊郭の主人であり遊郭内において
絶対の権限を持っていて状況次第では遊女の
命を奪うことさえ許される存在だったという。
若い女性を売買する仕事人身売買の仲介業者を
<女衒>””ゼゲン””といい遊女としての
品定めが主な仕事であり地方の女衒から
遊女を買い付けるなど他の女衒との連携は
欠かせず、当然優れた遊女を見定められる
女衒は遊郭主に重宝された・・・
また女衒に買い付けされなければ遊女には
なれないという図式も成り立っていたらしい
また・江戸時代に奴隷の身分とされていた
””エタ””非人の頭領で江戸幕府から正式に
任命され世襲制で12代続いていた
<弾左衛門>””ダンザエモン””が遊郭の
治安を担当・・町奉行所や寺社奉行の
管轄ではなく・彼らが担当していた・・
遊女が遊郭外に逃亡するようなことがあると
部下(エタ役人)と共に捜索をするなどの
役目を負い、また奴刑(ヤッコケイ)を
課せられた女性(罪を犯し、人別帳から除かれ
奴隷の身分となる)を女衒に売り渡す
権限も持っていた。慣例的に奴刑になって
預けられた女性を犯す(レイプ)事に
なっていた(エタ役人)は弾左衛門の部下として
遊郭の治安維持の仕事をしていたが呼称にも
あるとおり身分としては遊女と同じ奴隷だった。
年齢的に客を取れなくなった遊女は遊郭主に
よって<やり手>と呼ばれる仕事で
再雇用されることもあったという・・・
やり手とは遊女を監視、監督、する立場にあり
元遊女が大半を占め・・新しい遊女の教育や
働きの悪い遊女に対する折檻まで仕事として
含まれていたと言うからさすが””やり手婆””
遊郭と言う呼び名は江戸時代から明治初期に
使われたものでたとえば江戸の吉原遊郭では
品格も知性も芸事もハイレベルに備えた
花魁(おいらん)遊女のトップスターのなかでも
別格の花魁は””太夫””(たゆう)と呼ばれ
10万石の大名と同等に扱われたというから
すご~~~~~~~~~~~~~~い!
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