12月14日(火)あああ~~~懐かしいお千代さん
今日もやや強めの風が海から山へ吹き付けている
雲は昨日より多く空を漂い・・帽子がなくても
禿げ頭にさほどの影響もなく紫外線を避けるため
サングラスをかけただけの身軽ないでたちで
チロリン村・波際・近所を軽く徘徊・・・
そう云えばシニア川柳がふと目についた
(1)徘徊もタスキかければパトロール
(2)老いるとは増える薬と減る記憶
(3)マイナンバーナンマイダーと聞き違え
(4)長生きを褒める世間に子は疲れ
(5)年賀状出さずにいたら死亡説
(6)上向いて歩こう今では下向こう
(7)思い出が身辺整理の邪魔をする
(8)壁ドンでズボンの履き替えやっとでき
(9)人生に迷いはないが道迷う
(10)3度目は聞こえたふりの半笑い
(11)お互いにボケかとぼけか気がつかず
(12)ハイタッチ腕が上がらず老タッチ
(13)俺だだって死ねば弔辞で褒められる
(14)老人会皆名医に早変わり
(15)浪花節なんのだしかと嫁が聞き
(16)脳トレで信じたくない老いを知り
このへんにしておこう・平和な年寄りのぶつぶつ交換
徘徊の途中・・洗濯していた我が家に勤続26年
数年前まではわだすの娘のような存在だったけど
今ではわだすの母親的存在になってしまったジョビー
本当に優しい女性・・夫になったエルメール・・
息子のテオンも幸せいっぱい~もちろんわだすも
♪幸せいっぱい~♪胸いっぱい~♪
♪だってだって娘が~♪おっかさんになったんだもん~♪
この歌を歌った島倉千代子さんも優しい女性だった
その昔未だ東北新幹線がなかった時代・・
仙台市民会館で開催された島倉千代子ショーに
ゲスト出演させていただいとき特急グリーン車内で
我々ザ・コミックス3人が座ってる席へわざわざ来て
””ちょっとだけお邪魔してもいいですか?””と・・
うやうやしく声をかけられ・・ビックリした思い出がある
島倉千代子と言えばわだすが、寝ションベンを
垂れてた青ケツ時代に””この世の花””でデビュー
大ヒット一躍清純スター歌手として立て続けに
ヒット曲を連発・・美空ひばりとならぶ歌手になった
その大先輩であり大スターである島倉さんが
なんの飾り気もスターぶった素振りも見せずむしろ
新人歌手のような振る舞いで我々の席へ来たのだから
少々ビックリしてしまった・・・本来なら我々の
方から挨拶にいく立場なのだけれど、あまり
ぺこぺこするのが苦手なザ・コミックスに
島倉さんの方から気を使ってきてくれたのだろう
そんな失礼千万な我々に気さくにいろいろ
話しをしてくれる大歌手・・我々への質問も
さることながら、わだすの失礼な質問にも
ニコニコしながら素直に何でも答えてくれる
島倉さんには感激してしまった・・過去の阪神の
4番バッター藤本選手との結婚生活中・・大金の
借金を背負わされ離婚にまで至った経緯のことも
嫌らしいほどこと細かく聞いたにもかかわらず
すらすらと隠すことなく語ってくれて・・
最後には世間知らずの私がすべて悪かったんですと
反省の弁まで述べる島倉さんに感動もさせられた
30~40分ぐらいの時間だったが中身の濃い時間
当時30代後半だと思った島倉さんの話しぶりは
まるで処女の乙女が話しているような雰囲気・・
元々島倉千代子フアンだったわだすは
益々好きになってしまった東北線グリーン車でのひと時
少し前まではグリーン車とは呼ばず一等車・・
普通車は二等車と区別されていたのも思い出す。
島倉千代子も美空ひばりも今は天国でのびのび天使
わだすの知ってる芸能人のほとんどがあの世の人
この世の人はわずかになってしまった・・・・
後200~300年後は誰一人としてこの世で
見ることはないのかも知れず・・寂しさは隠しきれない。
チロリン村のメンテナンス・スタッフのイキ・・
親の遺伝子の影響で若いときから糖尿病・・体内に
いろいろ病気を変えてる身なのに10月ちょっとした
油断があったのか見事新型コロナに襲われ陽性となり
七転八倒生死の間をさ迷ったけど神の助けか世の情けかは
知らねども・・奇跡的に回復・・命を永らえる事が出来た
1度は死んだ身今後は命を大事に生きていきますと・・
誓っていたイキ・・・この奇跡の力は自力ではない
完全なる他力の力・・お陰様の力・・見えない力
心のそこからありがとう~~~と感じれる世界を
神仏界といい・・神仏とは感動の心そのものなのだ。
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ありがとう・・ありがとう・・ありがとう・・!!
チロリン村、チロリン宿、感謝、感謝、
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電話+63-920-903-9837なかだ