3月1日(火)またも霊山村
昨日の雨はすっかり止み青空が広がるリロアン
そんなお天気に誘われてボッチゴルフに
ダナオの山へと出かけてみた・・ガキ時の
ボロ家からいつも見えてた霊山の山並みに
うりふたつダナオの山並み~70年前が
現在に現れる不思議なひと時なんとも云えぬ心持
いい思い出など・・なにもなかった霊山村
殺伐としたボロ家での貧乏暮らし、腹いっぱいに
食えた日は一日もなく毎日が腹減り生活・・・
もちろん白米などお目にかかったことも無い
最高のご馳走は米が1麦が9のあったかい飯に
1個の納豆が醤油に浮かぶくらいにしょっぱくし
一家6人で分け合って食えたのが数えるほどの思い出
他の日は芋や豆腐のカラなどで胃袋を癒した・・
豆腐のカラはなんの味付けもなく・・握り飯のように
ただ握っただけの代物、パサパサで喉につかえて
胃袋へ到達するのが遠い道のり・・それでも
あればまだましな方、そのせいでどんなに
美味しく料理された豆腐のカラでも好きにはなれない
わだすの食生活・・それとヒステリー症の
継母になにかといじめられたガキ時の体験から
ヒステリーな性格の女性も苦手になった・・・
ヒステリーな女を霊山村では””しんけったがり””と
昔は言われてたのを思い出す多分神経がたがる?
神経がグシャグシャに群れたかるの意味だと思うが・・
云いえて妙だ・・この~””しんけったがり~~~””
中学1年になった頃から継母には逆らい始め・・
意地の悪いことをされるとすぐ口答えするようになり
親子の口げんかが激しくなり、わだすの決めゼリフは
いつも・・・””なんだこの~あどおっかあ~~~””
あどおっかあとは後のおっかあ・・つまり
2度目の嫁と腐していた・・今考えればあどおっかあも
当時わだすにさぞ腹が立っていた事と思う・・・
そんなわけでど貧乏とあどおっかあとの確執で
毎日がささくれ立った生活良い思い出がない霊山村
その中で霊山の山並みだけが心に残る思い出だ・・
苦しい時・・辛いとき・・悔しい時は
近くの崖の石に座りひとり霊山を眺めて涙していた
楽しいことがなにひとつないボロ家と霊山部落に
未練がないどころか・・一時も早くこの環境から
逃げ出したかった、この家から脱出できれば
どこでも良く・・この家以外はどこでも
青い鳥に見えるほど、ボロ家にいたくなかった
青ケツガキは密かに東京に憧れをもち・・・
東京に行きさえすれば・・簡単に金持ちになれると
単純に思いこんでいた青ケツ少年中学時代の
3年間が30年にも思えた長い歳月・・・・・・
今と丁度真逆な時間の進み方・・長い長い3年間
そんな青ケツ少年の心の思い出霊山の山が
ダナオにもあったとは神様、仏様、ダナオ様
神仏はどこにでもいてござる四方八方東西南北
ジャパンにセブー最後は自分の心奥深くに・・
今日の夕飯はスィネガンnaヒポン(エビに野菜酸っぱいスープ)
玉子チャーハン・・すっかりわだすの母ちゃん役に
なってしまったジョビーに感謝~感謝~
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