021年12月2日(木)吉原には住所がない
久しぶりの曇り空なぜかホッと落ち着く青春爺
毎日毎日酷暑のカンカン照りで紫外線から
逃れるのに苦労していた身には安心感を抱かせる
午後の1時町内の学校で2回目のワクチン接種を
受けるためジョビーを伴い接種会場へ向かった
ジョリビー前の細い坂道を登りきったところの
広い場所に設置された会場には大勢の人類が
たむろし・・列をなしていた、ほとんどが
サンダルかゴムぞうり履き・校庭にまかれた
白くうすい粉のようなほこり土の上をうろうろ
してるのだから・・いつも汚い足がいっそう
汚れて地下足袋のような足が目立ち男はまだ良いとして
可愛い女性の地下足袋足は少々気になってしまう
わだすはといえば・・ちゃんと靴下、スニーカーを
履いているので地下足袋足にはならない・・
元々霊山村の貴族出身で育ちの良いわだすは
汚い足には抵抗があり外出時には必ず靴を履く・・
人間幾つになっても育ちは隠しきれないものだ。
こんなたわ言を本気で言ってみたいと何度・・
思ったことやら・・・ガキのころは靴どころか
ぞうりサンダルもまともに与えてもらえぬど貧乏
それにしても今日の接種会場1回目の時より
3~4倍多い人類・・ワクチン2回の接種証明が
なければモールの出入りやその他の禁止が
申し渡され脅されて生活のためやむなく・・
ワクチン接種を受けに来た一般庶民人類
わだすもその仲間だけれど・・爺特権と
2回目の接種と言うことで居並ぶ群集を掻き分けて
最前列へと案内されて、あれよあれよと言うまに
接種を終えた・フイリピンでは少数民族に
指定されてるわだすたち爺婆の特権はこんな時
遺憾なく発揮されてありがたい限りだ・・
もしもこれが日本なら大多数民族の年寄りを
特権扱いしてもぜ~~~んぶ年寄りなのだから
特権にはならないはず・・たまには良いところも
ある発展途上国フイリピン共和国・・・・・
1回目と違い針に少々痛みを感じ接種後の
二の腕も痛い、副作用がでない事を祈る。
この後・隣町のメンデロ病院で前立腺肥大の
途中経過の診察予定が入っていたが医師は
他の病院の緊急手術が入りこれなくなったと
助手の返答・・・歯医者もチンポコ医者も
休みが得意で♪リンダ困っちゃう~♪
夕方暗くなるまで波際を見つめボ~~~!
副交感神経と共に時間を過ごした・・・
明日はセブ市内パークモール内にある
X線専門所に行き口腔内の写真を撮ることに
そして土曜日はまたまた歯の治療・・
爺の2割引でも断然高い治療費、
わだすのボロ肉体高級車よりメンテナンス費が
高い・・・生きてく事って大変だ・・・・
浅丘ルリ子がその昔言ってたっけ・・
””愛って耐えることなの?””そうかも知れない
””人生って耐えることなの?””そうかも知れない
ところで・・昔の吉原遊郭が売春禁止法によって
すっかり街並みが変わりトルコ街にトルコ大使館の
抗議によりトルコの名称がソープランドに
変わったけれど・・中身の売春は変わっておらず
表紙変われど内容変わらず・・実に人間っぽい
関係者から聞いた話だけれど経営者が亡くなったら
その店は終わり営業許可は出ないと言ってたが
本当はどうなんだろう・・40年前友人の
故横山剛が現役のキックボクサーを引退して
一時吉原のトルコで雇われ社長をしていたころ・・
時々遊びに行ったが、日本ならではの
きめ細やかな技術サービスに何度昇天しまくった事やら
当の横山本人はおよそ10年前に大腸ガンで
丸ごと昇天しちまった・・死の3ヶ月前まで
わだすがマンダウエー市内で経営していた・・
居酒屋チロリン村に顔を出してくれていた
今頃は昇天した本物の天国でトルコ嬢に技を
教えているのだろう・・オレが行くまで元気でナー!
元来吉原は現在の場所ではなく日本橋の人形町に
あったが、日本橋が栄えて来たことで
街の中心部に遊郭があるのはまずいと言う事で
江戸時代に今の場所へ移されたらしい・・
吉原と言う住所はなく吉原があるのは
東京都台東区千束と言う住所、吉原は江戸時代から
女性と本番行為をする場所として発展してきた
昔の吉原遊郭は遊女達が逃げ出せないよう
周囲に囲いがあった、入り口はひとつだけ
これを吉原大門といい・・吉原大門へと続く道は
不自然にカーブしているが、これは遊郭が立ち並ぶ
吉原を外の世界と分けるため曲がった道を
進まなければ吉原大門は見えてこない・・・
吉原へ行くためでなければ遊郭施設が
目に入らないように配慮されていた・・
吉原の入り口には柳の木が1本だけ植えられ
この柳は現在でも残っており<見返り柳>という
名前が付けられている・・吉原で遊んだ男は
帰る時、吉原大門を出て見返り柳のある辺りで
後ろを振り返ったことから・・見返り柳と
言われるようになったらしい、う~ん味がある!
ただ柳が枯れるたびに植え替えられているため
当時の柳が残っているわけではない当たり前だけど
吉原にはパワースポットとしても知られる
吉原神社があり400年以上の歴史がある・・
吉原で働く遊女の幸せをずっと見守ってきた
また神社の近くには吉原弁財天もある
かつて吉原には池がいくつかあり大正12年
関東大震災が起こったとき吉原は周りを固い塀で
囲われていたため、遊郭の中には逃げ場がなく
逃げ場を失った遊女達は池に飛び込み・・・
490人の遊女が溺死して犠牲になったという
哀しい歴史もあった・・・いつの世も
弱いものが犠牲になる・・この世は耐え難きを
堪え忍び難きを忍ぶのも弱いものの定めか
もっともっと人間界は成熟し進歩して良いと思う
人類がこの世に出てきて数万年と言われるけれど
基本的にはさほど変わっていない・・・
昔も今も弱肉強食・・立派な法律や憲法は
出来たけれど、いまだに基本は殺し合い・・
神仏が慈悲や愛を説くのは単なるオイル・・
束の間の潤滑油か・・近代化が進むにつれ
潤滑油は経済と便利さに取って代わられようとしている
果たしてそれでいいのだろうか・便利さばかりを
追求していると人に与えられた自然の本能とやらが
消失していきそうに感じるのはわだすだけかも知れない。
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