夕べから鼻がグシュグシュ~鼻風邪?
””バカは風邪引かない・・・””
諺にも時々間違いがある・・・
それにしても、何年ぶりの鼻風邪~
長い間、ご無沙汰していました鼻風邪様!
自然のボ~と、鼻タレボ~ほろ酔い気分だ。
ボ~~思い出す・・懐かしい船の霧笛~~
””霧笛が俺を呼んでいる”赤木圭一郎?
一昔前・・二昔前・・船で旅立つ人との~
別れの光景・・・見送る人、見送られる人・・・
テープとテープを固く互いに握り合い・・・
ブオ~~~っとゆっくり・・ゆっくり・・
船は港を離れて行く~~そのゆっくりした、
時間の中に互いが共有した・・様々な~
想い出~葛藤~未来への夢と希望が流れてゆく。
””別れテープを~笑顔で切れば~
望み果てない~遥かな潮路~
ああ~憧れの~ハワイ航路~
こんな歌もあったっけ・・・現代の飛行機旅行・・
別れのテープを投げたら、どんな事になるだろう。
港・・海・・別れをテーマにした歌・・数知れず!
題名挙げたら~それだけで今日のブログは、
終わりそうなので明日にします、アハハハ~~~!
私が3~4歳の頃だと思うが、祖母につれられ・・・
北海道へ・・・初めての船旅・・連絡線~~~
正確に言うと、初めてではない・・O歳のとき・・・
満州からの引き揚げ船に乗ってるが~~~
記憶が定かじゃないので、無きに等しい・・・
死んだ親父の話では、玄界灘を無事わたり・・・
日本へ着くのは信じられないほどの地獄船・・・
だったそうだ・・・食い物どころか・・・
命からがら・・・逃げ帰った日本人・・・
着の身着のまま・・・空腹で飢えた人々、、、
乳飲み子を抱いた女性は・・泣く泣く内緒で~
玄界灘の荒波に~後ろを向きながら、
崩れ落ちるようにわが子を・・捨てた・・・・・・・・・・・・
乳をほしがり・・泣き叫ぶ乳飲み子・・・
しかし飢えてる母には、一滴の乳も出ない・・・・・・・
これを犯罪と呼べる人は・・・いないだろう・・・!
どうにか・・・日本へたどり着いた父母・・
祖母のいる秋田の貧乏長屋へたどり着いた・・
のも、つかの間・・産後の身体と栄養失調等が、
重なり・・間もなく帰らぬ人となった・・・・・・・・・
その後父は、何処かへ出稼ぎにゆき・・・
物心がついた・・7歳のときに会うまで・・
祖母の下で幸せに・・・育ててもらった!
北海道の連絡線・・・うる覚えながら~~
広い大きな・・床の上、座る人横になる人・・・
上のほうには、小さな窓が周りにあった気がする。
幼児ながら、怖い気持ちと嬉しさが交じり合い・・・
そんな状況でも・・・絶対存在の祖母がいる・・・
不安はすぐに吹き飛び~祖母の膝に・・・
甘えた記憶が・・思い出される。
函館から・・馬車に乗り~多分親戚か友人の、
家だったのだろう・・・小さな家だったが、
優しい人たちで、貧しいながらも歓待して
くれた思い出が、今も頭の片隅にこびりつき・・・
あの家は誰の家で・・住人は誰だったのだろう~?
65~6年経った現在でも時々ふっと頭に浮かぶ。
祖母との旅は、その一回と岩手県のどこかは、
忘れたが、秋田から石炭列車で友人宅へ
尋ねていった・・計2回~今思えば貧乏旅行・・
だったが、優しい祖母が側にいてくれるだけで、
後は・・何も欲しいものもなく、幸せだった!
そんな幸せ時代もあった・・鼻水おじさん・・・
物質的には、はるかに恵まれてる現在~~~
時々、不平・・不満・・もちらちらと・・・
歳月が蓄積した人間の業は深く重たい・・・・・・・・・
今朝も部屋の中に響いてくる・・すずめたちの~
明るい鳴き声・・・幸せそうな小鳥たちのさえずり~
窓の外は・・・久しぶりの南国晴れ~~~
波際も・・・穏やかに晴れ渡ってる・・
今回も一週間・・・居座るつもりか・・・
あの船が69年前・・引き揚げ船で来てくれれば・・・
もっと・・・多くの命が助かっていたかも・・・・・・・・・・・
ありがとう・・・ありがとう・・・ありがとう・・・!!!