乱れ雲はぐれ雲うろちょろ
強い風が吹きまくる波際
晴れてはいるが
風に邪魔され太陽も
気分を害され
体感温度は25~6度
シニアに優しい晩秋の風
とは言うもののホコリ高き
国道沿い排ガス交じりの
濁った空気で大賑わい
臭いセメントの反射熱
鳥焼く熱と漂う煙
30度ぐらいになってるだろう
誇りまみれの有色人種
中には貧乏暇あり白色人種も
環境に抗しきれず汚れ色
白色人種のホコリまみれは似あわねえ
やっぱり似合うは銀座の蝶か・・・
ほこりまみれの~巷の夕日~
ビルに隠れりゃ~灯が点る~
昨日見た夢に~すがって泣いちゃ~
生きては行けない~銀座だよ~
弱音吐いちゃ~駄目さにっこりと~
夜の蝶々は~ああー飛ぶんだよ~
私より確か7~8歳年上・・大津美子さん
その他東京アンナやここに幸あれなど
大ヒット曲をだしたけど途中・・・
病に倒れ困難を味わったという
現在元気かどうかわかりませんが
元気でいることをねがいます。
月曜日・・陽も傾きかけた時間を
見計らい・・いつもの町内徘徊企て
OKMさんに電話したけど繋がらなく
黙して爺・・一人旅
普通に歩けば一時間弱
老いを感じる足腰に
横着させちゃ~なんねえと・・・
短い足を懸命に開き
大またで急ぎ足・・・
おおよそ40分で完歩
滴り落ちる汗の気持ち良さ
自己満足の腰痛爺!
リロアン橋の橋の下・・・
日々変らぬ渦軍団
独特の深い緑色、年間2~3の
犠牲者が出ると言う・・・
命綱がしっかりと中央に
気をつけよう見た目の
美女ときれいな光景
油断大敵・・海と美女
今日の波際強風で
海底の土が掘り起こされ
泥水のように茶褐色
晩秋から冬にかけて
きれいな顔に泥がぬられる
海も顔も似たようなもの
当分きれいな波際見れそうにない
自分の顔見て心癒すか・・・
あはははは~~~~~
さかのぼる事57年前・・波際少年!
近江屋洋菓子店から霊山村へ
強制送還になってしまった
今考えれば無理もない
まだほっぺたも赤い田舎少年
工場長の斉藤さん・・私が
とんづらしないようしっかり
荷物も持ってくれている
お土産に少しのケーキも
くれた・・優しい工場長
当時45~6歳だったと思う
やはりその昔集団就職で
近江屋へ・・真面目一筋
その人に連れられて元来た
上野駅から福島駅へそして
オンボロバスに乗り
霊山村へたどり着き
私の親父に挨拶しとんぼ返りで
東京へ戻った工場長
親父や継母・・弟妹の顔を
見るのが何故かやるせなかった
懐かしい山、川、畑も心に入らず
会いたい友達もいたけど
今の立場じゃ恥ずかしい
必ず出世して会いに来ると
心に決めたオンボロ長屋8畳一間
私は2~3日後・・心配する親父を
””なにも問題ねえおら~歌手になっから””
と言い残し・・・再びバスで福島駅
2度目の東北線鈍行列車の
お世話になった今度は一人だけど
なにも怖いものはなかった
汽車賃だけで金もなく2度目は
いなりずしも無くワタナベの
粉末ジュースの元に水を入れ
こっぺパンをかじりつつ・・・
哀愁あふれる鈍行列車・・
夢と希望の鈍行列車~~
当時の大ヒット曲三橋美智也の
哀愁列車・・口ずさみながら
惚れて惚れて~惚れていながら~
行く俺に~旅をせかせる~
ベルの音~辛いホームに~
来は来たが~未練心につまづいて~
落とす涙の~哀愁列車~
””待ってでけろ~おらーの東京・・・””
文無しをちっとも気にしてない
あの頃・・木の葉のように
弱い存在だけど恐れるものは
なにもなかった・・まるで
大空へ飛び出した自由な
渡り鳥のように・・自分ひとりで
生きてゆけるってこんなに
素晴らしいことかと
あふれる涙を抑えることも
できず・・淋しさなんて
私の心に微塵もなかった。
頭に浮かぶのは新宿花園街
あすなろクラブのEND親方
夢心地に揺られた7時間・・
やがて上野駅に着いたとき
ポケットの中には200円入っていた
よし・・真っ直ぐ都電に乗って
新宿まで行ける・・荷物は
下着少々靴下歯ブラシ石鹸
タオル一枚・・それだけ・・・
向かうはハ~ナ~ゾ~ノ~ガ~イ~
丁度時間となりました・・また明日・・・
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