10月19日(月)日野原先生ごきげんよう
今日のリロアン・ダナオ方面薄暗い
灰色の雲が一面に広がっている
今にも雨が降りそうな状況に
躊躇して恋人ダナオの山に
行きそびれてしまった・・・
一人ゴルフの途中で土砂降りに
襲われたら悲惨でやるせない
ゴルフカートを使用してれば
クラブハウスまで戻るのは容易だが
ずぶぬれのまま歩いて戻るのは
淋しく悲しい一人のゴルフ・・・
それに今コロナ禍の下
ゴルフ場のシャワールームは閉鎖中
ずぶ濡れで着替えも出来ず
そのまま運転して帰れば
風邪を引く恐れもあり・もしも
発熱などしたならば・・
武漢コロナにされかねず
今の時期用心するにこしたことなし
気軽に病院へ行くことも出来ない
異国のセブー・・改めて感じる
自分の身は自分で守る精神を!
どんなに気をつけたとしても
怪我や病気になるときはなるけれど
だからと言って無防備のままならば
悪魔が忍び寄る機会は増えるだろう
特に人間は150歳を過ぎた頃から
雨降り時のゴルフは・・・
避けた方が良いかも知れない
雨でぬかるんだフェアウエーで
転び足腰の骨折でもしたならば
それ以後寝たきり老人になり
ゴルフやセックスもままならない
楽しいはずのゴルフが暗黒に
なって出来なくなったら一大事
人生の曲がり角・・・
寝たきりで後々数百年
生きるのは拷問に等しい
長生きすりゃ良いってもんじゃない
3年前105歳で亡くなった
日野原重明医学博士が執筆した
本の題名ですが、本の最後のところで
先生が以前対談した事がある群馬県の
富広美術館館長・星野富広さんの事も
書いているのでちょっとだけ
引用させていただきます・・
館長の富広さんは中学校で体育の
教師として赴任して間もなく
授業中の怪我が元で肩から下の機能が
麻痺してしまいました・・9年間に
及ぶ入院生活の中で口にくわえた筆で
絵を描き、やがて詩を書くようになり
また・キリスト教の洗礼も受けていて
入院生活に入る前までの星野さんは
何でも自分一人の力で出来ると
錯覚していたそうです・・・
怪我をしてもはや元のように回復する
望みが絶たれた時に、何か大きなものに
我が身をゆだねたい、助けてもらいたい
と言う気持ちになったと言います・・
それを聞いた日野原先生が
””文明が進化を続ける中で私達は
科学に頼った生活をしていますが
いかに進化した現代科学とはいえ
出来ることには限界があります・・
この宇宙には現代科学とは比較できない
程の大きな力が存在してるように思われます””
と・・お話しすると星野さんは
うなずきながら、こんなことを
打ち明けてくれたそうです・・
<もう生きたくないと何度も死ぬ事を
考え何も食べずにいると、無性に
おなかがすいてきて結局は食べてしまう
そんなことを何度か繰り返すうちに
どんなに自分が絶望して死にたいと
思ってもその思いとは別の場所で
生きようとする力が強く・・
働いていることに気がつきました>
自分の意思とは裏腹に、体の中で
””いのち””という生きようとする
力を感じた星野さんはこんな事を
していてはその””いのち””に
申し訳ないと思うようになりました
死ぬ事を思いとどまって以来・・
大変な努力をされて、現在のように
多くのフアンを持つ詩画作家として
活躍され、その貴重な経験から
大切なことを学んだと話している
<一番困るのはからだが動かない
事ではなく、心が動けなくなることです
先入観に囚われず心と体を解放して
自由な気持ちにならなければ
自分の絵を描き文章を書くことは
できないことを絵や文章を
つくるようになって教えられました>
失うことで自分を発見できたと言う
星野さんの体験を聞いてるうちに
何か宇宙を越えた大きな流れのなかで
すべての生きものに与えられている
””いのち””の大切さ、ということに
思いを巡らせることになりました。
・・・と書いてあります・・
日野原先生の早すぎたこの世の生が
残念でなりません・・最低でも
後300年は生きて欲しかった
ルソーの著書エミールの中で
<もっとも多く生きた人とは
もっとも長く生きた人ではなく
生をもっとも多く感じた人である>
日野原先生の思いは・・・
<生きると言うことは成熟に向かって
努力することであり死によって平和な
永遠の眠りを与えられるのではないか>
などと言いながらもっとも多くの生を
感じつつ永遠の世界へと旅立った
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