ザ・コミックス@セブ

元お笑い芸人(ザ・コミックス)リーダーのセブ島リロアン、旅の宿チロリン宿と波際食堂の独り言。

021年4月8日(木)鳴くまで待とうホトトギス

うっすらと雲の多いリロアン界隈

 

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海もこのところ荒れ気味~機嫌悪し

 

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満潮の日が多く波際の崖修理も

思うように行かず、歯がゆいばかり

真夏の5月にならなければ平穏な海は

やってこないのか・・どうやらそうらしい

泣く子と自然の海には逆らいようがなく

時節が来るまで素直に待とう

徳川家康を見習い・・

””鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス””

豊臣秀吉はちょいと強引だし

””鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス””

織田信長は極端すぎる

””鳴かぬなら殺してしまえホトトギス””

信長の強引さを物語る大事件があった

死闘を演じていた宿敵・浅井長政と

朝倉義景の連合軍をかくまった

当時聖地とされていた天台宗の総本山

比叡山延暦寺に逃げ込んだ連合軍・・

信長は手紙を送り、どちらにも味方をせず

浅井、朝倉連合軍を追い出すように

求めたが比叡山側は1年近く無視をし続け

そのことに業を煮やした織田信長は

比叡山焼き討ちを決行した・・

その先陣を切ったのが明智光秀、この時の

功績により比叡山のふもとに位置する

坂本の地を与えられ坂本城を築城

しかし織田家最初の城持ち大名となった

光秀の裏切りにより本能寺の変で自害

せざるを得なかった信長の心は

いかばかりであったろうか想像を絶する

太く短い戦国武将の最期を閉じた信長

そして天下を取った光秀だったが

同じ信長の家臣だった秀吉に

13日後あっけなく滅ぼされ、これが

後々言い伝わる””三日天下””と

言うことばである・・かかあ天下は

群馬県その昔上州名物かかあ天下と空っ風

稼ぎが亭主より多かった上州の女房

亭主を尻の下に敷いていたという・・

上州女房の方が光秀より天下は長かった

多分今でも続いているかも知れない

気性の激しい織田信長は短命に終わり

鳴くまで待った腹黒家康長生きし

徳川政権300年の礎を築いた

やはり短期は損気といわれるように

気は長~く持った方が棚からぼた餅も

あるようだ・・幼い頃から人質生活を

強いられた苦労人徳川家康・・自力と

他力の使い方がうまく身体の調整を

司る自律神経の交感神経と副交感神経の

バランスにも長けていたような気がする

偉人・賢人・聖者・偉大な経営者と

言われる人々は皆その類なのだろう

激しい競争社会で生き抜く人々は

どうしても交感神経を使いすぎる傾向に

あるので吐く息を長く深呼吸をしたり

胸に上がってる気をへその下丹田と

呼ばれるところに気を下ろしなるべく平静な

気持ちを保つよう少しでも心がければ

運気も良くなり健康にも恵まれそうだ

腹式呼吸を長くすれば自然に気は下に落ち

自律神経のバランスが良くなり心身共に

健やかになると・・古の達人は述べている

瞑想やヨガが身体にいいと言われるのは

そういうことらしい・・さらに小食にすれば

身体が喜ぶといわれる、大食い人間は

脳も身体も老化を早めると猿を使った

実験で証明されている、医者や病院を

必要以上に儲けさせるのはやめて

なるべく病気を少なくし生涯を終えられれば

これに勝る宝はない・・・・・・・

言うは易し行うは難しへへへへ~~~~

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