ザ・コミックス@セブ

元お笑い芸人(ザ・コミックス)リーダーのセブ島リロアン、旅の宿チロリン宿と波際食堂の独り言。

2022年3月10日(木)東京の人は田舎者だった

深夜・・ものすごい勢いの大雨にちょいビックリ

去年の台風以来のけたたましさにまたか?と・・

思わせられるほど豪華な大雨が早朝まで続いた

もうすぐ傘寿を迎える141さんとナオキSの

お客さんで60代なのに80代に見える若年寄りの

なんとかさん・・名前はど忘れしました・・・

男にあまり興味がわかないわだすなので2~3度

会ったぐらいではなかなか名前が思い出しません

ただ・・わだすと同じ福島出身で禿げであることは

明確に覚えています、福島なまりが強烈ですが

言葉自体は標準語でアクセントだけが福島なまり

と言う中途半端ななまり具合・・同郷のわだすとしては

どうせなまるなら徹底してなまって欲しいと思う・・

中途半端は身体に悪いとも言われるし、方言が

徹底してるならば、微笑ましく笑いも誘えて

その場が和やかでもある・・徹底した東北なまりの

おじさんと、徹底した鹿児島なまりのおじさん・・

それと生粋の大阪弁おじさん・・神田の生まれヨ~~

江戸っ子おじさん・・この4人のおじさんがそれぞれ

互いに違和感を持たず、真剣に男女の恋愛感について

1時間ほど激論を交わしてる現場を覗き見できたら

さぞかし面白く腹を抱えて笑えるかも知れない・・・

それぞれが自分の話し言葉を標準語であると

固く信じて疑わない熱い会話は芸術にも等しく

日本全国から賞賛の嵐が吹き荒れるだろう・・

昨今はテレビ・SNS・その他で情報が満ち溢れ

日本全国どころか世界中の情報が一瞬にして知れ渡る

ある意味超便利な社会になったのは確かだが、

田舎者のわだすにはちょっぴり味気なさも感じる

世の中である・・わだすが十代~青春の頃は

東京で流行したものが各地方に広がるまでには

4~5年の年月を要したものだが、今では

一瞬にしてどころか東京も地方も同時多発テロじゃ

ないけれど・・全国・・全世界にまで同時に

広まってしまう情報化時代・・あああ味がない・・

懸命にラブレターを交換した時代がなつかしい

待つと言う時間の流れがどれだけロマンチックだったか

今では一瞬のうちにスマホで時差もなく伝わって

便利になったけど・・たま~にもらう手紙やハガキに

心を揺さぶられる、わだすが18~19歳の頃

ろくに引けもしないギターを抱えて半年ほど西日本

関西・・九州方面をギター流しの放浪生活をした事がある

その当時は全国の地方都市にも大小様々なキャバレー

クラブ・バー・サロン・スナックなどのお店が

盛り場には軒を連ねて並んでいて流し商売に

困ることはなく・・日本の高度経済成長時代の

真っ最中ともなっていて下手な流しでも引っ張りだこ

特に地方に行けば東京から来たと云うだけで

まるでスター扱い・・・東京の人と言うだけで

特別な目で見られた時代サインまでねだられた事もある

実際は福島の寒村・・霊山村から出てきて3年あまり

青ケツで鼻たれ小僧の田舎者なのだが地方に行けば

スターにも見えたらしい・・当時博多や熊本・長崎の

繁華街の雑居ビルには数え切れない小さな飲み屋が

連なり回りきれない・・行く先々で東京の人と言うだけで

断る店も客もいず・・お店のドアを開ければ必ず

声がかかり仕事になる、現地の流しの兄さんたちには

申し訳なかったけれど、それが東京の人の特権であった。

稼ぎも一晩で1万五千円から2万円を荒稼ぎ・・

地元の親分に各地で多少の違いはあるけれど場所代は

おおむね一晩千円程度・・税務署は関係ないので

坊主丸儲けと同じような稼ぎに我ながらビックリもした。

その代わりよそ者は長居はできず1週間~長くて1ヶ月が

大半だった、当時サラリーマンの給料は2~3万円の時代

東京の田舎者はけっこう稼いだものでした・・・・・・

ナオちゃん・141さん・福島のなまりおじさんが

チロリン村を訪問予定だったのですが141さんは急用

なまりおじさんは階段でひっくり返り足を怪我

ナオちゃん一人だけだったのでダナオに変更・・

二人ボッチゴルフに精を出してきた、昨日歯を抜いたばかり

でおばちゃん医師に酒とゴルフは3日間ダミーと

云われたが、内緒でゴルフ終ってビール2本飲み

大変素直で良い子のわだすでした、ゴルフはボロ負け

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