ザ・コミックス@セブ

元お笑い芸人(ザ・コミックス)リーダーのセブ島リロアン、旅の宿チロリン宿と波際食堂の独り言。

1月5日(金)先輩ギター流しと再会

およそ一ヶ月ほど前に

なるのだろうか・・・

関東地方にお住まいの

HGWさんのブログコメントが

きっかけで昔の放浪時代を

2~3書きましたが

その時ふと頭に浮かんだのが

亡き父親のことでした

貧乏人生を送った親父が

無性に恋しくなり

今・・酒でも飲みながら

話してみたい・・そんな事が

かなえられるなら・・・・・・・・

と・・見果てぬ夢想を抱いて

しまったわたし、誰でも

父親の年齢に近くなると

そう思うのかも知れない・・・

父ちゃんの子供時代

そして青春と言われた時代

わたしが未だこの世に

いなかった頃・・どんな人生

だったのか貧乏父ちゃん・・・


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なにも知らずにここまで

きてしまったわたし

今となっては知る由もないけど


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その頃の日記でも残っていれば

と・・・切に思ったりもする・・・

わたしは自分が生きることに

精いっぱいだったこともあり

父親と深く話し合ったこともなく

今頃になって後悔している

26歳になったせがれの

ケントもやがてわたしと

同じような年齢になった時・・

ふと、思い出し回想日記を

眺められればせがれも

一味違った父ちゃんとの

ふれあいを楽しめるかも知れない


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そんなことを思いつつ・・

遺書代わりにもなると

つまらぬ考えがわき出し

日記を続けることにしました。

こんな私的な回想録に

お付き合いしてくれる方々には

感謝の言葉しかありません・・・

残りの人生427年末永く

よろしくお願い申し上げます!

波際の空模様少々荒れ気味・・


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          <青春爺回想日記>


新宿の街が忘れられない少年・・

練馬区向山町の砂利道

重い自転車と牛乳箱

日一日と夢が消え去ってゆく

現実・・いつしか配達も上の空

転倒や間違いが増えて行き

優しい社長もそんな少年に

注意する場面も多くなって行く・・

あの頃の練馬は東京の田舎

そこかしこに畑があり・・・

練馬大根が有名だった・・

新芸能学院ジャニーズ部からも

完全に足が遠のき

半端な学生証も淋しげに・・


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今度の日曜日新宿流し時代の

HNM先輩に会えるのが

毎日の楽しみ・・先輩の部屋を

自由に寝泊りして良いと言われ

そこに夢がありそうな気がして

日曜日が待ち遠しかった・・・

そしていよいよその日が来て

16歳は心の背伸びをしながら

練馬駅から電車に飛び乗り

空席がたくさんあるのに

座る気持ちになれず

少年には少し高めのつり革に

両手でぶら下がり

なぜか得意になっていた

電車を乗り換え板橋駅の

改札口を出たところに

小さな大先輩HNMさんが

変らぬぼさぼさ頭で待っててくれた

流し見習い時代・・人に初めて

会ったら何時でもお早うございます

という習慣を思い出し・・・

””お早うございます””と・・

元気良く挨拶・・にっこり笑う

先輩は少年と背丈がほぼ一緒

ぼーっとした雰囲気が

安心感を与えてくれるHNMさん

駅前の大通りを渡ったところに

あった日本そば店に入り

好きなものを注文して良いよ坊や

大先輩は前から少年を

坊やと呼んでいたので

違和感はなかったけど・・

背伸びしたい少年は心の中で

名前を呼んでくれればいいのに・・

と思ったりもしたが相談に乗って

もらえるだけでほんとにうれしかった

もちが食いたかったので

””力うどん良いですか?””

””何でも好きなもの食べなさい””

と言われうれしくなり大きな声で

ちからいっぱい””ちからうどん””

と叫び周囲の人に笑われてしまった

HNMさんは確か天丼だと思ったが

ちからうどんしか目に入らず

やがて食事が終わり・・

アパートへ向かった・・歩いて5分

ぐらいのところにゆるい坂道があり

途中の古い木造アパートの前に

足を止めた先輩・・汚いけど

寝るだけだからいいやなと・・

ひとり言のようなつぶやきで

入り口の引き戸をぎしりと開け

かなり履き慣らされた靴を脱ぎ

一段上に上がり入り口から

2番目の部屋に入った

少年も続いて入ったけれど

部屋の中は新聞紙、週刊誌、

その他でぐしゃぐしゃ~~

足の踏み場もないほど

4畳半一間で台所トイレは

共同・・・汚いのは慣れてるけど

想像以上だった片付け始める先輩

少年も一緒に手伝い、間もなく

空間が現れ・・座って話し始める

HNMさん、どうしても牛乳屋さんを

やめて他の仕事がしたいのならば

新しい仕事が見つかるまで

ここに居て構わない・・・飯代は

一日300円ぐらいなら助けて

あげられる・・・とまで言ってくれた

どんなに汚くても外で寝るより

天国・・行く当てもない少年

””よろしくお願いします””

と答え・・月末まで残り2週間

社長には田舎へ帰りますと

言い訳をして世話になった

牛乳店を後にした・・・・・・・

給料袋の明細書には

マイナス金がいっぱい書かれて

いたがそれでも袋の中には

4千数百円がありホッとした・・

小さな安ボストンバッグに

身の回り品を詰め板橋へ

向かう電車の中・・頭の中は

芸能界がぐるぐる回っていた。

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ありがとう・・ありがとう・・ありがとう!!!

チロリン宿もよろしくお願いいたします。