12月21日(土)姉の死から2年後
連日晴れ間が続いた後・・
今度は連日雲の出番が
多くなったチロリン劇場
そんなお天気具合に
関係なくクリスマス劇場の
フイリピンパワーは
途切れることなく
連日恐ろしい勢いだ・・
何処から出てくるのか
この活力・・まるで
シロアリ軍団襲来のようだ
街行く庶民の身体全身に
喜び心が溢れている
どんな顔にも笑顔が輝き
生活苦など微塵も
感じられない、さすが~
ラテンの血が騒ぐ
ザ・フイリピン
これが治まり次第すぐ
ハッピーニューイヤーで
盛り上がり息つく暇もなく
フイリピン唯一の
ビッグフェスティバル
シヌログカーニバルが
開催される・・・・・
この爆発力には圧倒される
””見上げたもんだよ
屋根屋のフンドシ
たいしたもんだよ
カエルのションベン””
♪見上げてごらん~♪
♪屋根のフンドシ~♪
♪ひらひらゆれて~♪
♪長フンドシが~♪
♪ささやかな粗珍を~♪
♪包んでる~♪
坂本九ちゃん失礼しました!
話は変わり心配かけて
いました娘のデング熱
熱もかゆいぶつぶつも
昨日から正常に戻り
数値(血小板)も上昇し
土曜・・夕方無事退院
する事ができました
心配していただいた皆様に
心から感謝しております
ありがとうございました!
級友も見舞いに来てくれて
家でとうもろこしを
かぶりつき元気いっぱい
ジョビーの妹も真理の
手助けやテオンの子守に
頑張ってくれた、しかし
なんと言ってもジョビーの
大活躍には頭が下がる・・
寝る間も惜しんで
介護や医師とのやり取り
書類の手続き奮闘努力の
甲斐があり入院日数も
2日で済み大幅な
節約になった、こういう
事は外人には無理で
やはり比人でなければ
なし得ないと・・改めて
ジョビーに感謝する他ない
ありがとう・・ジョビー!
<ザ・コミックス放浪記>
18歳になるのを待ちかねた
ように婚約者の下に行き
貧乏家族とさよならをした
3歳上の姉洋子・・・
その時の胸のうちは
どうだったのかガキッチョの
ケン坊には見当もつかず
ただ・・姉ちゃんやった~
良かったな~~~と・・
羨ましい気持ちだけが募り
できるなら一緒について
行きたいと心から思った
夢も希望も情もない
ボロ家族・・その中で
たった一つの気休めは
悪い事さえしなければ
文句も暴力も振るわない
親父の存在・・その代わり
間違ったことをすれば
遠慮のない鉄拳が飛び
鼻血を出すことも時には
あったけど継母のような
陰湿ないじめはなかった
しかし・・中学に入った頃
からケン坊は親の言う事に
逆らうようになっていき
素直に従うガキでは
なく逆に反発する
悪ガキになった、その頃から
親父も一切ケン坊に手を
挙げることはなくなった
のだけど、代わりに
何処で手に入れてきたのか
知らないけど重たい
さび茶いろの自転車を与えられ
一瞬喜んだのはぬか喜び
その日から自転車の荷台に
乗せた納豆を売りさばく
納豆少年にさせられた・・
このことは以前に書いたので
此処では省くけれど・・・
一日でも早く糞ったれおっかあの
元を離れたい気持ちが強く
毎日時が経つのを
指折り数えるケン坊
時々頭に浮かぶ姉ちゃん
や・・優しかった婆ちゃん
を思いだしながら・・
納豆売りに励んだ少年時代
中学をまともに
通わなかったのに
立派な卒業証書を手にし
花の都東京へ集団就職で
出てきたのが有頂天・・
それから3年後の18歳
日産ブルーバード4ドア
デラックス新車を
64万5千円で購入
国道4号線を一直線
霊山村へ凱旋帰村
田舎っぺーの同級生らに
見せびらかしたが・・
””ほんとにおめの車がい?””
疑う田舎っぺーどもに
””ほれ・これ見でみろ?””
自慢げに車検証を広げる
ケン坊生まれて初めての
快感に酔いしれていた・・・
あれからおよそ20年後
””これから兄弟仲良く
付き合っていこうねえ~””
と・・愛の手紙をくれた
姉ちゃんは若くして
胆のう結石手術で突然死亡
間違いなく医者の過失だけど
人の良い義理兄、近所と
言う事もあり訴えもせず
黙して妻の死を受け入れた
それから2年後父娘の二人で
セブへケン棒を尋ねて
来てくれて3人で飲み明かした
夜・・・積もる話と想い出に
涙が止まらなかった・・・・・
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