ザ・コミックス@セブ

元お笑い芸人(ザ・コミックス)リーダーのセブ島リロアン、旅の宿チロリン宿と波際食堂の独り言。

10月31日(日)坊さん頑張ってちょーだい!

毎度・・口癖のようになってしまった

今月も今日で終わり・・意義のあること

なにもしてるわけでもないのに、日々は

あっという間もなく流れていく・・

心のなかには少しばかり隙間風が吹いている

善人、悪人、金持ち、貧乏、誰彼なく

死は平等に100%やってくるのと

同様に時間、日々、月日、歳月も平等に

やってくる・・しかしそれは人間の思考に

よるもの、もし人間に思考力がないならば

人間以外の動物と同じく月日も歳月も

なく・・命さえ永遠に終ることもない

動物の死の抜け殻をみて我々人間は

死んだと確認して命の有限性を認めるけれど

現在、過去、未来、など眼中になく・・

現在の一瞬に全てをかけ生きてる動物たちは

過去を嘆いたり無駄に未来を愁いたりもしない

過去も未来もないと言うことは死がないのも同然

上から目線で動物達を見ている我々人間と言う

動物は果たして偉大で幸福な生きものだろうか

時と場合によっては犬、猫や野生の動植物の

方が幸せだったりするのではないだろうか

永遠の世界で退屈と言う苦痛を感じる事もなく

自然の本能のままに生き、食い物があったら食べ

もし、ないなら食わず・・くよくよ悩むこともせず

寝苦しく眠れないなんて苦しみもなさそうだ

食ってうんこして自在に眠り本能のまま子孫を残し・・

天敵がきたら一目散に逃げ我が身を守り、平然と

生き抜く動物たち、寝不足で憂うつになることも

なさそうだし、ある意味しあわせとも思える

もしかしたら悟りを得た達人と言われる

人間の心境と似てなくもない・・・

時と場合によっては似ているけれど

””似て異なるもの””同じ自然界に生まれ生きては

いるけれど、天は人間にだけ思考力と

知識・智慧・感動する心をを与えてくださった・・

その分人間には生老病死と言う苦しみ悲しみも

与えることになり・・喜びも時にはあるが

長くは続かず一瞬で終ってしまう

””さあ・・若者よ進め喜びの旅路へ””

勇んで出発はしたけれど・・待っていたのは

老いの苦しみ、病気の苦しみ、死の苦しみ、

夢と現実の狭間にもがき苦しむわだすたち

これらの苦しみを取り除く方法を

インドのお釈迦様は対機説法と言う形を取り

様々な人々に教えを説いた、当時は未だ

文字がなかった時代、その人のレベルに応じて

臨機応変に言葉(口伝)で伝えたものを

お釈迦様亡き後の弟子達が寄り集まり(結集)

文字にしたため膨大な量のお釈迦様の教えを

お経として残した・・より良く生きるための

真実の方法を説いたお経を、なぜか死んだ人に

捧げるものと思い違いをしている人が

結構大勢いて、お経が聞こえると気持悪いとか

縁起でもないとか真面目に云う年寄りが

多いことにも驚かされる、科学的な仏教が

葬式仏教化したのは江戸幕府が寺に檀家制度を

取り入れたのがそもそもの始まりであり・・

お釈迦様の教えが変質してしまった

お経は死者のためのものではなく生きてる人への

科学的な深い教えである・・にもかかわらず

檀家制度のお陰で寺は修行の場ではなく

檀家、村の住人相手の葬儀供養を商売とし

寺の坊さんは戒名料やお布施をいただき

先祖代々村人と坊さんは葬式供養の関係を持ち

いつの間にか葬式仏教が当たり前のようになり

現在に至っているが・・近頃は時代の流れで

檀家制度も大きく崩れつつありお寺の経営も

大変困難な状況に直面して寺のありようを

変えてるところが多々出てきてるらしい・・

現在のお寺さん経営は受難の時代と言ってもいい

だからこそ今は葬式仏教から抜け出し本来の

仏教に立ち返る時代になってるのかも知れない

悩める生きた人々のために仏の教えを広めて欲しい

日本全国・・寺々・坊様たちの奮闘を祈る!

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ありがとう・・ありがとう・・ありがとう・・!!

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